74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 11:20:50 ID:40yFsSUj
スレの流れを変えるには食い物ネタに限るな
ラスボスとふぐの話をとあるサイトよりコピペ

豊臣秀吉による文禄・慶長の役の際に
下関から海を渡っていった、しかし兵士が下関で獲れた
ふぐを内蔵ごと食べまくったせいで集団による食中毒死者を
大量に出してしまいました。
烈火の如く怒った秀吉により出されたのが「河豚食用禁止令」であり、
日本最初のふぐ食用取り締まり令だと言われている。
江戸期になるとあちこちの藩で禁令が出されるようになり、黒田藩や長州藩では河豚を食べ中毒死した場合はお家断絶と、
武士にとって最高の厳罰が設けられた。
しかし「河豚は食いたし命は惜しし」、「真に一死に値する」といわれる河豚の味。
江戸時代の俳人・一茶や芭蕉も河豚をよんだ句がいくつかあり、そのうまさに魅かれて、さかんに河豚を食べている。
禁令をくぐって広く食用され、落語のネタや浮世絵の画材にされるなど愛されていた。
明治になってからも「河豚を食う物は拘留科料に処する」という禁令があった。

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 11:22:14 ID:40yFsSUj
明治21、22年の頃、すでに伯爵になっていた伊藤博文が
下関の料亭「春帆桜」(明治28年日清講和条約の舞台)を訪問した際に、
あいにくその日はしけで魚がない、女将がその旨を申し上げると
「俺はよいが馬関(下関)に来て、魚がないとは…。」とやんわりと皮肉った。
女傑として名高い女将が、それではと意を決して禁令の河豚を出したところ、
「一身よく百味も相をととのえ」と絶賛し、「調理法さえ間違えなければこんなに美味い
ものを禁じるのは勿体ないことだ。」早速、時の山口県令・原保太郎に命じ、
「違警罪即決例」のふぐの条項を削除させるように働きかけたのが「ふぐ解禁令」である。
全国で最初にふぐ食が解禁されたのが山口県であったということも、
下関でふぐが盛んになっていった要因の一つであると言えよう。
しかし河豚食が解禁されたのは山口県だけで、合法的に全国で河豚を食すには、戦後を待たねばならなかった。
(東京都は、明治25年、兵庫県は大正7年、大阪府は昭和16年に解禁)河豚といえば山口といわれるようになったのは、
このような事情からと推察される。

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/31(土) 18:54:03 ID:D3V+kteZ
»75
一方少し送れて昭和後期、下関に立ち寄られた時の天皇(昭和天皇)は
万が一を警戒した近習によって河豚を食べさせてもらえなかった。

しょんぼりと膳(河豚抜き)のものをつつく天皇陛下をよそに、同行の
政治家や役人は河豚の美味をかみ締めていた。

陛下、そんな一同を見渡して曰く。

「河豚には、毒があるのだぞ…」

滅多に我侭を言わず、美食家ではあられたが食事への不満を言わぬ事
で有名であった陛下ですら負け惜しみを言ってしまうほどに世の人を
魅了した魅惑の食材なのでした。

震災後は犯罪が横行する?
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/gline/1208726704/


586:名無しさん@八周年 :2008/05/27(火) 21:14:20 ID:MgkgzCm/0 [sage]
漏れも阪神被災者で三ヶ月以上避難所暮らしだったけども、
その手の犯罪の話は全く聞かなかったな

一方でペットボトルの水が盗まれただの、毛布がとられただの、そういうのはよくあった

思い出す
うちもふくめて近所は全壊して、何もかもが埋まってしまった。この世の終わりのような光景だった
普段煙たがられてた二つ下の珍走が、仲間と集団で家財道具の掘り出しを手伝ってくれた
バイト代はたいてやっと買ったばかりのギターがほぼ無傷で出てきたときはなぜだか涙が止まらなかった
まっ金金な頭した珍走が泣きながら励ましてくれた
金目のものが出てきたら盗んでいかれるんじゃないかと思っていた自分が恥ずかしかった
嫌なヤツらもいた。今思えば下らない理由で揉め事ばかりが続く日もあった

友人も財産も、夢見ていた将来も、多くのものを失った。世界は崩れた
しかしなんだかんだでそこで今の嫁さんと出会い、今はごく普通に暮らしている
自分を包む世界が崩壊しても、世界が終わらない限り、命ある限りなんとかなるモンなんだな、と今は思う

590 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 投稿日: 2007/10/10(水) 21:40:46
ガキの頃夏休みに買った昆虫採集セット。2種類の薬品と注射器にピンセットなんかが入っていたと思う。ある日、注射器に薬品を入れて捕まえたセミに注射しようとしたところ、針がはずれて自分の太ももに刺さった。その注射でたくさんの虫たちを天国におくっていた俺は、このまま俺も死ぬんだと思い、部屋に戻り布団を引き、最期の時を待った。しかし無情にも、「いつまで寝てるの!」と言う母の声で目が覚めた。食卓に並ぶ家族の顔を見て、なぜか涙がこぼれた。
人間に出来ない事をやる機械は “マシン”、人間と同じ事をやる機械は “ロボット” らしい。なかなか意味深い使い分けだ。 http://d.hatena.ne.jp/hxmasaki/20091123/1259002285
「100%の情報があれば誰でも決断できるが、それではもう遅い。
本当の決断は60%ぐらいの時でなければいけません」
王子製紙 河毛二郎
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